「あんたさ、トルコ一緒に行かない?」
母親はHISのパンフレットを見ながらそう言いました。10日間で見るべき有名スポットをつるりとなぞる、いわばザ・ツーリスティーな王道バスツアー旅行です。
当時私は24歳。大学を卒業し、専攻していたグラフィックデザインの知識を捨てるには惜しかったので、とある大手の求人広告会社でDTPオペレーターとしてアルバイトしていました。
時給1000円、実家暮らし、バイト帰りの同僚との飲み会、かわいい洋服やアクセサリー探し、お気に入りのバンドの追っかけくらいが日々の楽しみの、お気楽フリーターでありました。将来のことなど本当に何も考えず、友達と、恋愛と、目先の享楽をただ消費していました。
海外経験なし、トルコの知識など皆無で、さほど興味もなかったけれど、母親も行きたがっているし、かろうじて代金は払えるだけの貯金はあり、何も断る理由はありません。「いいよ、行くよ」。
「そんな程度」の気持ちだったんです。
祖父が危篤。意図せず親友との二人旅に
出発1週間前になり、親戚から1本の電話が。長患いしていた母方の祖父の容体が急変。
もってあと一週間だろうという医者の言うことに疑いがないほどの様子だったので、行きたがっていた当人の母親が急遽行けなくなるという事態に。
「予約しちゃったし、直前だけど代わりに友達誰か探して行きなさい。ほらあの子とか」
小学校時代からの同級生である親友・ヤマに連絡してみたところ、
「・・・・・・行く!」7日前だというのにもかかわらず快諾です。
こうして初パスポートとクレジットカードと共に、初の外国・トルコへと旅立つことになりました。
羽田空港、集まったのは女5人
集合場所にはHISの女性ツアーガイドさん1人、関西から来た参加者女性2人、そしてわたしたち2人の、最少催行人数であろうたった5人のみ。
全員偶然にも同い年、すぐに私たちは仲良くなりキャッキャウフフ!と飛行機に乗り込んだその日は私の誕生日。なんだか特別な気分で、私は機上で25歳を迎えました。
自覚はなかったものの、始めてのことに興奮していたのか、外を見たり機内食のメニューや細かい説明や気持ちなどをつぶさにメモしながら、酒好きの私は機内サービスで出されるトルコ産エフェスビール、ラク(ブドウから作られる蒸留酒)をグイグイ飲んでしまい、出発早々機内のトイレで吐くという幸先のいいスタートを切りました。
絵にかいたようなツアー旅行。しかしそこには
イスタンブール空港で現地ガイドのイルハンさんと合流し、ツアーバスに乗りあとは身を任せるだけです。
世界史も地理も不勉強で知識が乏しい私は、ガイドさんの説明をそこそこに聞きながらボケッと車窓をながめては、薄い感想が頭をよぎっていきました。
トルコは地理的にはアジアという分類だが、人も建物も文化もアジアらしさは皆無だなあ。
グリーンモスク/イシェル・ジャーミィ(ブルサ)/緑が目にまぶしい、敬虔な地元民の訪れるモスク。一体アラビア語なんて書いてあるのさ・・・
カッパドキア(ギョレメ国立公園)/パンフレットやガイドブックの表紙は必ずここ。世界遺産の奇岩群、しかも住居になっておりいまだに住んでる人がいる。冬はひどく冷え込む内陸。どうやったらこんな形になるの?
住人の所得は低め。観光客が住居を見学しに来るそのわきで、お手製のスカーフやアクセサリなどの小物を売っていたのでみんなで買って頭に巻いてもらったが、行く先々で笑われることに(アジア人がやるととても滑稽に見えるらしい)。
アンカラ急行(イスタンブール~アンカラ)/トルコ語ができず列車の食堂車でなにも頼めなかった恥ずかしさたるや・・・走り出す電車の窓に腕を伸ばして「連絡くれよ!」といって顔写真をくれた警備の男たち。
パムッカレ(デニズリ)/世界遺産の石灰華段丘。世界的にも珍しい綿の棚田は炭酸カルシウムによるもの。いまならインスタ映えを目的に行く人が相当多そう。この当時↓はまだフィルムカメラにこだわっており、ここで愛機のTC-1が壊れるというアクシデントに見舞われ凹んだのもいまとなってはいい思い出。
エフェソス古代都市遺跡(エフェソス)/セルシウス図書館。こんなところに2万5千冊もの蔵書があったなんて。ギリシャ語で勉学にいそしむ学生たち、そして奥には売春宿につながる秘密の通路があったとか。人間の営みは国や時代を超えても同じ。
トロイ遺跡(イリオス)/ギリシャ神話の中でも有名な「トロイの木馬」。
どう考えても人を忍ばせるには目立ちすぎるだろうこれは・・・。
スルタンアフメット・ジャミィ(ブルーモスク)イスタンブール/大ドーム、ミナレット、ステンドグラスに無数のタイル。偶像を持たないイスラム教寺院の荘厳さをすべて詰め込んだらこうなるのか、といわんばかりの美しいモスク。
ベリーダンスショー/踊るコツとしては、お腹やヘソを意識するのではなく「胃をグルグル回す」イメージなんだとか。アラブ・中東圏を代表するこの舞踊は「魅せる」という言葉がぴったり。オスマン帝国ハレムでスルタン気分。
細かいところも目につきます。
ちょうどラマダン(断食)の時期だったので、運転手さんは日中、水もガムも口にはせず敬意を払われているようす。公衆トイレはお金を払うこと(0.5-1YTL、当時20円くらい?)。
ちょうどトルコ建国80年の記念日、街のいたるところにかかる赤い国旗と横断幕。
東洋と西洋の交差点、料理はどれをとっても非の打ちどころがなく、潤沢なオリーブの数々は世界第4位の生産高、どこかなじみのある味のキョフテ(挽肉の団子風料理)、レストランで頼んだアイラン(ヨーグルト塩ジュース)の酸味と塩気が口の中を元に戻してくれる。リンゴ紅茶やトルココーヒーももてなしの味としては抜群。
ガイドさんはすでに20回以上もトルコに来ているらしく終始つまらなそうに石を蹴りながらも、いつもは40名以上いるご老人たちの点呼で大変よ、でも今回は楽しいと言って、嫉妬深い彼氏のために毎日電話をしていました。そんな女子会さながらの雰囲気で最終日を迎えました。
何にも感じなかった。「その時は」。
10日間、ケガも大したトラブルもなく、全ての日程を無事に終えて岐路に着いて胸に去来したものは・・・何もありませんでした。
じつは旅行中、興奮や旅の感慨といったものはほとんど感じてもいず、
帰国して今に至るまで鮮明な記憶や衝撃も、特に残っているわけではありません。
西洋人から見たら西洋ではなく、東洋人から見たら東洋でもない、なるほどな。これがトルコか。
「そんな程度」の感想だったんです。
しかしあの時、確実に「何かが植え付けられた」んです。
すべてが初めて尽くしのなかで、そのときは心の処理速度が追いつかないとしても、人生のギアチェンジをさせられるような経験が、予期せずやってきます。
忙しいから、遠いから、高いから、めんどくさいから、次があるから…
そんな理由で、私たちはかなりの頻度で機会をやりすごしています。
それでもいいかもしれませんが、なにかよくない気がしませんか。本当にそれでいいんですか?
だから、誘われたら乗ってみましょうよ。「誘われたら乗ってみる」。これが私のポリシーになっています。
あ、でも変な新興宗教の誘いには乗らないでね、みんな!
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