友達は言いました。
「今度の土曜、都合がよさそうだよ。川に行ってピクニックでもしようか!」
「いいね!お弁当と飲み物とレジャーシートと、あと何かあれば言って。持っていくから!」
でもその土曜日はなにもないまま過ぎました。
別の友達は飲食店に勤めています。
「お店のオリジナルTシャツが完成したんだ。送ってあげるから住所教えてくれる?」
「ほんと?送料私が出すから!住所は東京都○○○、×××1-2-3ね」
3か月経ったけど、なにも手元には届いていません。
7年ぶりに大学の同級生に連絡してみました。
「よかった繋がった!仕事は順調?住んでるところも近いし今度ご飯食べに行こうよ!聞きたいことたくさんあるよ」
「オッケー、仕事終わったら連絡するわ!」
彼の仕事はいつ終わるのでしょう。
旅先で知り合った外国人の子は口々に言います。
「ミオは日本に住んでるの!しかも東京!ぜひ行きたいと思ってるのから連絡先教えて!」
「電話は080-××××-××××、FB、インスタ、メールはこれだよ」
みんな忙しいのかな。予定変更しちゃったのかな。
私には気になっている人がいました。
「元気にしてる?変わりはない?すべて順調? 🙂 」
(返信なし)
・・・・・・。
みんな「待っている。」
あの盛り上がっていた会話はどこかに消えて、
一秒でメッセージが届くこの便利な世の中で、だからこそ?安心しきってしまって、
いつでも会えるとでも思っているのでしょうか。
まるでいつまでも山がそこにあるかのように、永遠に生きてるとでも思っているんでしょうか。
会えば超楽しいはずなのに(←これ!ここがポイント!)、
んで、いざ死に際になって
「ああ、あの時会っておくんだった」とか言うのかな。
みんな言うだけ。あとはsomething luckyが起きるのを待っているだけ。
みんなおいでよっていうくせに、こっちには来てくれない。
なんだよ、腹立つな。
でも、そんな私も「待っていた」のでは?
でも、彼らの返事を行動を、高い期待を抱きながら、私も「待っていた」のでは?
あーそうか。そうだったんだ。私も「何もしなかった」かもしれないな。
そうだよね、みんな仕事に家庭に忙しいよね、お金もないよね。
じゃあ私から会いに行くからね。休みとったよ。ドタキャンはしないでよ。
これから電車と飛行機乗るからね。適当なとこに泊まるから大丈夫。
本来、相手は何をしてもいいはずなんです。
私ができるのは、他者の気持ちも行動も尊重して、自分のすべてを素直に述べるだけ。
でも会えば超楽しいはずなんだから(←これ!もう一度言うよ!)、
「あの時会っておくんだった」はなるべくなしね!
これが理由で、私はあなたに会いに行くんです。
だって人生は本当に短いんだから!
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