【面白人間大集合】メキシコ・ヒッピー中年男とのヒッチハイクで得たたくましさ

メキシコで女一人旅をしているなか、「ヘイ! おまえはそこで何をしているんだ?」と英語で話しかけてきた男がいた。それが、彼との10日間のとんでもない旅の始まりだった。

英語で話しかけてくる男

旅を始めて2ヵ月半、メキシコに入国して4日目。まだまだ毎日が新鮮かつ緊張にあふれていたころ、私は第二の町・グアダラハラにいた。セントロ(町の中心部)の真ん中でカメラをぶら下げ、ラテンな雰囲気をおさめようと歩いていた矢先、枯れた噴水に腰かけていた男が話しかけてきた。そもそもメキシコで英語で話しかけてくる人は少なく、どうせちょっといかがわしいヤツかなと思いながらも、なんとなく話をはじめた。

アメリカ生まれのヒッピー中年、その名はマルコス

風貌はごく普通のオッサン。TシャツGパン、メガネにキャップ、口ひげをたくわえ煙草をくゆらし、清潔でもなく不潔というわけでもない。なんで英語話せるの、と聞いたら両親はメキシコ人だがアメリカ生まれ・育ち(チカーノ)なんだそうだ。

「お前は何人だ? 日本人か。何の写真を撮ってんだ?日本人はなんでも撮りやがるからな。そんな看板なんかとっておもしろいのか。まあいいけど。酒は好きか?ビール飲むか?

ビールにつられて

ええ? ああ…と答えてるあいだにビールをおごってもらった。ラッキー。通行人を眺めながら適当に相槌していたが、次々と質問が飛んでくる。

「故郷はどこだ? 東京か。これからメキシコのどこを訪れるつもりだ? バスを乗り継いでカンクンまで行く? やめとけあんなくそ暑いとこ!俺はふだんグアダラハラとオアハカをヒッチハイクで往復する生活をしてる。どうせオアハカも行くつもりなんだろ、 お前には金を使わせないし俺と途中まで行くか? あさっての早朝6時に出発するから、ここで集合はどうだ?」

私の持っていたガイドブックの地図に「こうこう、こうのルートで……」と勝手に書き始めた。早口でやや強引な誘い口、なにより今日初めて会っただけのやたら陽気なおっさんに対して警戒心がなかったわけではないが、

「ツリーハウスを経営してる知り合いはここ。誰も知らない山奥のログハウスはここ、本当のメキシコを感じたければ絶対に行け。この街に行くなら俺の知り合いに電話しろ。番号は…」

丁寧で細かく説明しているのを聞いているうちに、もしかしたら面白い事が起こるんじゃないかという気持ちがむくむくと芽生え「いいよ、一緒に行こう」と言ってしまったのが、唯一無二の珍道中の始まり。

コーラに何か入ってる!

その日はもう2〜3杯ビールを飲んだ後、メキシコ最大のメルカド(市場)を案内してもらい、適当なレストランで夕飯を食べたのち別れた。
出発前夜、ハードなパーティーをしてほぼ寝ずに例の噴水にフラフラで現れた私をよそに、マルコスはさっさと歩き始めた。ときおり「大丈夫か?」と心配して手にしていたコーラをくれるのだが変な味がする。「ああメスカルが混ぜてある」とのこと。メスカルとはテキーラより格下のやっすい蒸留酒。いつもそれをあおりながら歩いているのである。こんなん飲ますなや!

移動手段は100%ヒッチハイク

しばらく歩いて連れてこられたのは…ガソリンスタンド。そう、ここで車をつかまえる。「お前はここで待ってろ」と言って、マルコスが給油中のドライバーに話しかけに行く。ぼろぼろのバックパックを抱えて小さく座っている私を指差し「ほらあのかわいそうなあの子。メキシコにやってきたが金が尽きたところに俺と会って、知り合いのいるオアハカに行かなくちゃいけないんでウンヌンカンヌン」(想像)とか言っている。

9割断られるが、30分ほどで成功。さっそく軽トラの荷台に乗り、すすめるだけ進み、次の街か、次のガソリンスタンドで下ろしてもらう。

優しいのかなんなのか?

荷台に乗ったマルコスの手にはたくさんのじゃら銭。何コレ?と聞くと「ヒッチハイクを断られたら、そのかわりにいくらかくれませんかね? って言うのさ」とのこと。こいつ金せびってる! しかし小銭の中にもわりと高額紙幣がまざってたりする。「お前は心配してるだろうが、金なんてこんなもんさ!」と言ってまたメスカル入りコーラをあおるのであった。

マルコスは知恵があり、饒舌で、器用だった。手近にあるもので工作をし、それを子どもたちや道行く人に配っては喜ばせていた。私の5,000円で買ったバックパックがありえない壊れ方をしたときも、太い糸と針で直してくれ、初心者だった私はちょっと感心していた。

嘘か本当か?彼の詳細

道中、することといったら話す事くらいなのでいろいろ質問してみた。
「ねえなんでヒッピーになったの?」

「俺は北カリフォルニアのモデストという街の出身。そこはまさにヒッピー文化の生まれた地域で、俺が10歳の頃、人々は芝生の上に寝転んで歌い、踊り、時にはパートナーを交換したりして、それはとてもパワフルな体験だったよ。」

「若い頃は何してたの」

「20歳で軍隊に入ってヘリコプターの操縦士をしていたが、ある日訓練中にエンジントラブルで機体が墜落。俺は大腿骨を骨折、乗っていた同僚1人が死んでしまった。それが原因で除隊になったのが24歳のとき。」

マルコスの人生はなかなか聞き応えのあるものだった。除隊後、ナタを持った暴漢が森から出てきたので、必死に拳で抵抗した結果相手が動かなくなり(!)、刑務所に2年入っていたがそこでうまく立ち回る術を得て、ブラスバンドまで呼べるまでの力をつけたという。

本が書けそうな人生(事実なら)!

まだまだ話は続く。裁判費用などで親に10万ドル(1,000万円)借りる羽目になったがそれは完済して、6年間ジャングルの中で靴も履かずに自然薬品と漢方の勉強をする。1回目の結婚で4人の子宝に恵まれ、今はみな薬剤師や歯医者になっている。商売で成功し、最新鋭の設備を整えた家4件、RVカー、飛行機も所有していたが、いまはそのほとんどを子どもに譲ったり処分してひとりメキシコに来たという。いまでも事故による傷の手当として、国から月3,000ドル死ぬまで振り込まれるらしいが、あんな血塗られた金には手を付けたくないといってそのままらしい。

前妻が亡くなってしばらくして再婚したが、スーツをたらいと洗濯板でじゃぶじゃぶ洗うような何にも知らない世間知らずだったので2年で離婚。これだけで本が書けますね。

日が暮れる前に宿へ

下の前歯が二本ないのは、友人が焼いてくれたチーズピザを食べたらチーズに歯がくっついてそのまま抜けた、毒蛇に親指をかまれたが、医者に行くのが嫌なので血を吸い出して消毒代わりにニンニクを生でガリガリかじって(なぜ!?)放っておいたら不自然な方向に曲がったまま…。

「いいだろ! ヒッチハイクで『こっち行きます』ってわかりやすくて!」

と聞いてるとアホみたいなのだが、笑ってしまう小話満載。「一文無しのあのかわいそうな日本人」作戦が功を奏し順調に車をつかまえ街から街へ。途中、休憩中にドライバーが発作を起こし、泡を吹いて救急車で搬送される(マジ)とかありつつも、日が暮れる前には宿に着くように(これ旅では重要)毎日をこなしていった。

劣悪宿のオンパレード

歩くマルコス、ついていく私。しかし、やもめ男の泊まる場所はそれはひどいものだった↓↓↓。
①5人くらいのアル中風男たちがずっとじろじろ見てくる宿
②だだっぴろい、まったく日の差さないベッドだけ置きましたという物置宿
③きわめつけは、知り合いの民家の2階だがまだ建設中、打ちっぱなしのコンクリートにかろうじてガラスの入っている窓に、
隣の部屋との壁はぶら下がったダンボール。隣の部屋からはキューバ人の吸うたばこの匂い。トイレは電気もつかない水も流れない(映画トレインスポッティングのトイレシーンをご想像ください↑)ほとんどホラー映画そのもの。ベッドもない(!)ので床に直に寝る硬さと寒さと言ったら、外同然(マジ)
という、今考えると恐ろしいものだった。よくやった自分。

隙間風が入るが山奥のこじんまりとしたロッジ(変なキノコがやたら生えてる)や、メキシコシティの友人宅のソファなど(この友人カップルは今も友達↑)気分が良かった夜もあった。

お金の貸し借り、求婚

「タバコとメスカルが買いたいから100ペソ(当時600円)貸して。」
「いやだよ自分で買いなよ。」
お金のやり取りが本当に嫌いな私はかなり渋ったが、いままでよくしてくれた分の気持ちもあり貸してみることにした。…次の日「ほら心配するな、100ペソだ」といって返してくれたのは、すべて硬貨。1ペソ硬貨×100枚である。重すぎる! 使えりゃ同じだろというがイライラする(当たり前)。途中の昼飯などのたびに使い続けなんとかなくなった。

機関銃のようによくしゃべる男で、会話の比率は9:1。50を過ぎたやもめ男は最後に花を咲かせたいのか、話の隙間に「結婚しよう何でも買ってあげるしどこでもつれていってあげる」とたたみかけてくる。しません。

観光地にも行きたいのに

ある日、私が観光地であるオアハカ州にあるイエルベエルアグア(炭酸水の泉)やモンテアルバン(世界遺産の有名な遺跡)に行きたいというと、

「あんなツーリスティックなとこ行って『メキシコを見た』だなんて笑わせるぜ! おれならもっと現地人さえも知らないとこに連れて行ってやる。そのほうがいいだろ?」

と私の意見を曲げようとする。私にとっては初めての大陸・初めてのメキシコ。行きたいところに行きたいんだ!とそれは譲らず、マルコスは不満そうだったが一人で行ってきた。

なんだかイライラが募ってきた。移動はヒッチハイク、つまりほとんど高速道路の変わらぬ景色。街には着くが、いったいここがどこだかわからぬ移動の連続。そして(まだ入国間もなかったので)行きたいと思う観光地には「そんなとこつまんねーぞ」と言われる始末。
私は思った。「あれ? これつまんなくね?」

絶対返せ!

9日目の夜、またマルコスは金を貸せと言ってきた。忘れたがたぶん500ペソ(3,000円相当)くらいだった。「この宿のオーナーが工芸品を作ってる。知り合いだしいいものだから買ってやりたい。」いやだよ!と言ってもなかなか引き下がらず、頭にきたがもうすぐ別れの日は来るし、絶対返せよ! といって金を貸し、街を歩いて気を静めていた。
帰ってきたらパイプを買って上機嫌である。そして机の上には白いさまざまな形の、化石を彫ったペンダントヘッドが20個ほど無造作に置いてあるではないか。

「ほらこれを見ろ! 古い化石が中に見えるだろ。日本人は古いもの好きだろ?これを全部やるから日本の宝石商に行って売れ。1,000ドルくらいはするぞ」

つまり500ペソの代わりにこれをやるというのだ。この件で私のたまっていた怒りは爆発。

「あのね! もうあんたと一緒に旅したくない。あと数日一緒の予定だったけど、明日バスに乗る。あんたと一緒にいると鳥かごにいる気分!」

そういうとマルコスはとてもシュンとした。でも私の心は「こいつうぜえええ!」だった。せっかく来たメキシコを他人の思い通りにさせてたまるか。行きたいところにいかなくてどうする。お金に関して(小額だとしても)ルーズなやりとりも許せなかった。

バラの花一輪とともにお別れ

がっかりしていたようだったけど、私は「よし次へ進めるぞ」という思いでいっぱいだった。ハッピーヒッピーのマルコスとしてはそんな小さい事でと思っただろう。若い日本から来た女の子と一緒に居て楽しかったんだろう。だがな、てめー、その扱いはダメだ。

次の日、私は次の目的地・ベラクルスに向かうバス停に向かい、マルコスも送りに来た。寂しそうにしながらバラの花一輪をくれたが、やっと自分の旅ができる次の目的地のことで頭がいっぱいで、その花をさっと受け取りあいさつもそこそこにバスに乗った。

すまんマルコス、ま、いいか

かばんから、マルコスがヒッチハイク中にくれた万病に効くとされるミラクレイ(ミラクル+クレイ。なにそれ?)なる、ハワイの海底火山からとれる泥の粉末の入った袋がでてきた。マルコスがくれたそれをサラサラと触りながら、まあちょっとひどい言い方だったけど10日間でいろいろ見たからいいか、と思ったのであった。

2ヶ月にわたるメキシコの旅のスタートはこんな感じだった。ちなみにくれたバラ一輪は、バスで隣に座った男の子、バレンティン君(いまだに友達)に成り行きであげてしまった。すまんマルコス。ま、いいか。

【まとめ】
①流れに乗って楽しもう、でも行きたいところには行こう!
②お金のやりとりは気をつけろ、むしろやるな!
③しかし道中の出会いは最高。これが旅!

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