小学校になるころには、必ず経験する「いじめ」問題。当事者じゃなくても、目にすることはあったでしょう。学校生活での大きな課題のひとつでもあり、社会に出たあとでさえもひどい出来事を目の当たりにしたりします。以下、実話です。
どこにでもいる、典型的なふたり
わたしには兄がいます。名前はモト(仮名)。幼いころから心優しく、しかし気が弱く、やりかえしたりすることなどできない、どこにでもいるような男の子です。
クラスにはイナ(仮名)という、たいした奴ではないが口が達者で、いつも腰ぎんちゃく(死語)をつれているような生意気な、絵にかいたようないじめっこがいました。
「兄はいません」
体操着を隠される、廊下ですれ違いざまこづかれる、貸したファミコンカセットは返してくれない、そんなことをくりかえすイナは、ある日、うちの自宅に遊びに来たいと電話がありました。
「おまえんち、このあと行くから」
とにかくいじめられるのが嫌な兄は、とっさに居間のコタツの中に隠れて「イナが来たら『お兄ちゃんはいません』って言え」と私に言いました。イナが来たので、いいつけどおり玄関先で兄はいないと言うと、
「あの居間のコタツの中にいるんだろ。めくってみせてみろよ」
勘の鋭いやつ…
うしろにいた腰ぎんちゃく(死語)が見るに見かねて、もういいよ行こうぜ、と帰っていきました。当時はことばもみつからなかったけれど、私は本当に兄がかわいそうで仕方がなかった。
そんなイナを代表とするいじめ体験が理由で、その後兄は私立の中学校を受験し、合格しました。それでも集団生活はなかなかつらいものがあったようですが。
その数か月後
偶然なのかなんなのか、イナも兄と同じ中学を受験したというではありませんか。しかしイナは落ちました。
祖母は「モトをいじめた報いだ、落ちて当然だ。」と思い出すたび、繰り返し言っていました。(偏差値高くなかったから、本当は学力なかったはず。)
あれから35年、
2020年になりました。TVは連日の新型コロナのニュースでもうみんな辟易していたころ。なんとこの町内会で初めてのコロナ死者がでたという話が飛び込んできました。こんな東京郊外の小さな町で…そしてその亡くなった方はイナの父親。たぶん70歳くらい。
ここまで読んだ方、複雑ながらもわいてくる感情があるでしょう。私もまったくおなじ感情です。
でもね、ひとは
一連の出来事に、たぶんなんの因果関係もないでしょう。いじめてたイナは覚えてもいないでしょう。きっといまごろパフェとか食って超ウメェ~!などと言っているはずです。
でもね、ひとは覚えているんです。ずっとずっと。本人はもちろんのこと、むしろ愛するひとが傷ついているのを見ているまわりの人間のほうがずっと覚えているかもしれません。いいですか、本当に覚えているんですよ。人の気持ちと記憶力なめんなまじで。
なにより怖いのは
そしてなにより怖いのは、わたしがこうやって語り継いでしまうことです。あるきっかけで怒りと悲しみの炎に薪をくべてしまう。ネガティブエナジーとメモリー大放出、もちろんイナに会おうとも思わないし助けたいとも思わなくなってしまう。ルージング・ヒューマニティー(なぜか英語)の無限ループです。どおりで戦争がなくならないわけだ。
しかし人生は
いつ死ぬかもわからないけれど、しかし人を憎むにはあまりにも人生は長すぎる。さよならつらい記憶。そんなことも遠い昔。一方兄は、陽気なオタク青年として元気にすごしています。最高かよ。
そして人は、やはり覚えている
肉体的、精神的、経済的に、人生で究極につらい局面にいるときに、してくれた優しさというのをひとはいつまでもいつまでも覚えています。そうやってひとは立ち上がって、同じことをしてあげられるんです。いいですか、本当に覚えているんですよ。他人を助けてあげることこそが、人間最大の能力なんですから。まじ人間すげぇ。これで戦争も解決。「いじめられたこと」を覚えてる?うん覚えているよ、という話でした。
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